写真で見るゼネラルの歴史・目次
- 創業者 芦田重之助の足跡
- 1914-1933 「ミカド印」の複写紙を生み出した、創業者の先見の明
- 1934-1945 ゼネラルブランドの誕生、洋紙カーボン紙の時代へ
- 1946-1959 戦後の発展の時代、カーボン紙トップシェアメーカーへ
- 1960-1979 「ゼネラル株式会社」に改称。新分野にも積極的に進出
- 1980-現在 海外進出、新事業展開など、さらなる未来への挑戦
- カーボン紙のミニ歴史
1960-1979「ゼネラル株式会社」に改称。新分野にも積極的に進出。
米国コロンビア社との技術提携によりプラゾルカーボン紙(現在のゾルカーボン紙)が発売された。
昭和42年新発売されたイージーキャビネットは、主力商品の1つとなっている。
来日したコロンビア社幹部と。左から2人目故芦田寛蔵社長(当時)
ゼネラルブランドのカーボン紙が市場を席巻し、その知名度が群を抜いていたために、社名の認知度が低下し、「ゼネラルカーボン紙を作っている東洋化工」という説明を要することが多くなった。また人心を一新し、新たな飛躍を期する意味もあり、1960(昭和35)年、現在のゼネラル株式会社へと改称。
ゾル・カーボン紙、ケミシート、イージーキャビネット、また新分野としてのリボン類、時代の先端技術であった静電記録紙、インクジェットインクなど新製品の開発も相継いだ。カーボン紙の専業メーカーから、オフィス関連、印刷関連の総合メーカーへと急速に発展し、株式上場で象徴されるように、最も活気にあふれていた時代の一つである。
東京店屋上にて。昭和38年頃
昭和46年完成した東大阪流通センターはゼネラル製品の西日本における流通の拠点として作られた。
昭和46年6月7日 東洋会慰安旅行。松陰神社
1967年 いわき寮完成